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『メ タ 心 理 学』バナー

発行元: メタ心理学研究所
#006: 2023.9.7

『メ タ 心 理 学』

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本場米国NLPの直伝を受けた著者は、元々欧米人仕様の成功法則として生まれた
NLPを日本人仕様に昇華した「メタ心理学」の開発に成功しました。メタ心理学
は、日本の伝統的な「和」の思考習慣を、「GAFA」を世界的企業に押し上げた
思考習慣にまでバージョンアップさせ、真のイノベータの輩出を可能にします。
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『「メタ心理学」第六号:「北岡新エッセイ『メタ心理学』誕生の経緯について」関連情報』

皆さん、こんにちは。本号のメルマガは、メタ心理学研究所発行の第六号です。

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(株)オフィス北岡、広報担当です。

本号は、『メタ心理学』第六号です。

本号では、以下のトピックがカバーされています。

1.恩典付「メタ心理学メルマガ創刊記念」
        アンケート キャンペーン 9/5 開始!
2.北岡新エッセイ「『メタ心理学』誕生の経緯について」関連情報
3.特別限定廉価「北岡個人セッション」のご案内 (恩典付)

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1.恩典付「メタ心理学メルマガ創刊記念」
        アンケート キャンペーン 9/5 開始!

本メルマガの創刊を記念して、9 月 5 日から「恩典付アンケート キャンペーン」が開始されました。

キャンペーンの詳細につきましては、本メルマガの前号の特別告知号、あるいは、以下のページにあります。

https://www.kitaoka.co/campaign/2309/

アンケート回答ページは、以下にあります。

https://1lejend.com/stepmail/kd.php?no=dxIRnMhAu

すでにアンケートに参加してくださった方々に深く感謝いたします。

アンケート参加恩典の北岡特別書き下ろしエッセイを楽しんでいただけているものと願っています。

北岡ワークにご興味があると答えられたアンケート参加者の方々への事務局からの返信と「オファー」には、もう少し、週明けくらいまで、時間がかかる予定です。少々お待ちいただけたら幸甚です。

また未参加の方々には、アンケート参加をお奨めいたします。

よろしくお願いいたします。

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2.北岡新エッセイ「『メタ心理学』誕生の経緯について」関連情報

9/5 に始まった恩典付「メタ心理学メルマガ創刊記念」アンケート キャンペーンの恩典の一つに、北岡特別書き下ろし新エッセイ「『メタ心理学』誕生の経緯について」がありますが、本エッセイを読まれた方々からは、「『新エッセイ』は読み進めるにつれて、神がかってる、とも思いました」、「このエッセイ神回じゃないですか!」といった感想をいただいていますので、未閲覧の場合は、ぜひ、本キャンペーン アンケートに参加されて、このエッセイを閲覧していただきたいです。

この新エッセイについて、2 点お伝えしたいと思いました。

I) 過去の北岡自身の「鎮魂歌」

私 (北岡) は、本エッセイの「前書き」で、以下のように書かせていただいています。

「現在私の周りにいる人々で、私の『ビッフォアー/アフター』を比較できる人は誰もいませんが、『ビッフォアー』を知っている『唯一』の人間である私は、『メタ心理学』は、1988 年以前の最下層の自己啓発難民だった自分自身への『鎮魂歌』として位置づけることができると思っています。」

このことにつきまして、私は、同じく「前書き」で、「[通常の中学入学] 後の (社会的不適合者としての) 私の人生については、別のところで書いたり、ワーク中に話したりしてきています」と書きましたが、特に、私が大学入学前後に起こったことについて、以下に述べさせていただきたいと思いました。

私には、高校時代、二人の「アイコン」がいました。一人は、1972 年 (私が高二の年です) の「ハーヴェスト」で世界的にブレークしたニール ヤングで (私が「追っかけ」をしていたのは「ハーヴェスト」以前の彼の 3 枚のレコードまででしたが)、もう一人は、ノーベル文学賞受賞作家で、最近亡くなった大江健三郎でした。

特に、大江の『日常生活の冒険』、『個人的な体験』、『空飛ぶ怪物アグイー』、(ノーベル賞受賞対象作の)『万延元年のフットボール』その他の、大江の故郷と私の故郷の共通点も感じた「土着の世界」にどっぷりとハマっていました (当時は、現在の「コンテントフリー志向」の私とは真逆の「コンテントばりばり」の「自己啓発難民状態」にいました。)

特に、私の二年先輩の方が『日常生活の冒険』を読んで、一念発起して、高校を休学して、ミクロネシアに 1 年滞在した後復学した、という話を聞き、大きな感銘を受け、この本を読んだ時 (自己啓発難民状態にいた私には、ミクロネシアに行くだけの勇気がありませんでしたが)、主人公の友人の「斎木犀吉」の生き方に痛く共鳴して、その後、私は、斎木をモデリングした人生を送ってきている、と言っても過言ではありません。

斎木犀吉のモデルは (大江の義兄である) 伊丹十三であったことを数年前に知って、私は、驚きましたが、この小説は、冒頭、斎木が「アフリカ大陸北岸の街」で自殺した、というシーンからストーリーが始まっています。

斎木は「哲学者」で、いつも「カード リング」式の単語帳をもっていて、表に哲学的トピックがあり、裏に自分自身の解説を書いていた、という話については、その後、私は、これを完全モデリングしてきている次第です (私の場合は、単語帳は不要ですが)。 また、小説の後半部で、主人公と斎木とその愛人の卑弥呼がシトロエン車で、パリとロンドンの間を行き来するというシーンもありますが、「仏語通訳としての通算 3 年間のアフリカ北岸とサハラ砂漠の滞在」、「どんな哲学的なトピックについても独自の主張ができる」、「英国とフランスを行き来した」といった私の二十代、三十代から今までの生き方は、斎木の行き様をそのまま反映していた、と言えます。

(大江については、ニール ヤングと同様に、大学一年の時に読んだ『ピンチランナー調書』にはまったくポジティブな印象をもたなかったので、その時点で、「追っかけ」を止めました。)

私は、高校時代は、学生運動に参加していて、勉学は疎かにしていたので、東大の仏文卒の大江をモデリングしたいと思ったのですが、とても東大は無理だと (かってに) 思い、ならば「有名私大」の仏文に行こうと決意しました。

高卒後、現役の際、(後に入学することになる) 私大の文学部の一校一学部のみの入試を受けましたが、なんと私が前年の高三の時に読んだ、大江の『洪水は我が魂に及び』の一節が引用されていて、あまりにもびっくりしました。実は、私は、小学 4 年生から 6 年生までは「養護施設」で「1 学年 1 学級」の少数集団教育を受けていたので、その期間の国語力が事実上ゼロだったということもあり、せっかく私のアイコンの小説家の小説から一節が引用された入試問題だったのですが、「募る」という漢字が書けずに、入試には受かりませんでした。

その後、上京して、二年間予備校に通いました。一浪の時は、東京郊外の下宿屋に下宿しましたが、新宿の予備校まで通うのが億劫で、8 月くらいまで、太宰治が入水自殺した玉川上水を始めとした「武蔵野平野」の散策を繰り返し、9 月から猛勉強しましたが、翌年の大学入試は、受験した四校とも、すべて、落ちました。

実は、二浪目の 4 月に、同郷の同じ高校を卒業し、都内の大学に通っていた同学年の女性と懇意になり、都内で半同棲生活を始めました。興味深いことに、この半同棲生活と二浪の勉強は「両立」できました (ただ、今、振り返ると、私はかなり「神経症的な症状」をもっていたと思います)。

二浪後の、目指す大学入試の時は、この女性に弁当を作ってもらいましたが、お昼に弁当を開けたら「頑張ってね」というメッセージがありました。

この入試では、国語と社会の入試問題の成績はそれほどでのありませんでしたが、英語の入試問題だけは 50 点満点だったので、おそらくこれが理由で、念願の私大の文学部に入学できたのかもしれません。

実は、私の人生で、「最も不毛な時期」は、一留で卒業した大学時代の 5 年間でした。

浪人時代から、大江をモデリングして小説家になろうとしていて、文学部のキャンパスに部室を構えていた「文芸サークル」の一員になりましたが、サークル員はすべて「ごく普通の大学生」で、高校時代に出会ったような「枠を外れた」興味深い学生はいませんでした。在学中、大江に手紙を送って、「弟子入りしたいのですが」と申し出たのですが、「私は弟子を取りません」という返事が来ました。この文芸サークルを通じて、後述の『過去への旅路』等の小説を同人誌に発表していましたが、特に反応もなかったこともあり、やがて「筆を折って」、「野に降りて」、おもしろくない日本からの海外への脱出を目指すようになりました。

大学 1 年生の 9 月には、半同棲していた女性が、ある雑誌の編集のアルバイトで働き始めたのですが、なんと、その雑誌の編集長に、その女性を「寝取られて」しまうという事件が起こってしまいました!

(この女性は、別れてから数ヶ月後に、該当の雑誌の「スキー特集記事」のモデルとして登場していました。)

この時のショックは「筆舌に尽くし難い」もので、いまだに、井上陽水の「傘がない」を聞くと、当時のことを思い出して、涙ぐんでしまうほどです。

(ちなみに、私が半同棲していた女性のアパートに私が最後に泊まった日の朝、「朝焼け」が尋常ではなく、ラジオでも「今日の朝焼けは、異常でしたよね」といったコメントが流れていました。実は、その日は、まさしく「中国の赤い星 (毛沢東です) が落ちた」朝でした!)

その後の私は「もぬけの殻」状態で、「神経症と精神病の間の境界線症」の人間だった、と思っています。文学部のスロープは、「対人恐怖症」でまともに歩けず、その脇の階段を使っていましたが、ある時、天を向いて、「この神経症を治せるような心理学は世の中には存在していないだろうが、かりにもし存在するとしたら、そのメソッドに命をかけてもいい」と、心の中で宣言しました (私にとってのこの「究極の心理学」は、後年、様々な意識の研究の試行錯誤の後、NLP であることが判明しました)。

大学 3 年次に、自費留学したフランス パリで、 (東洋人の顔を見ないので) 「否定的なアンカーリング」が発火せず、「水を得た魚」のようになり、将来は海外に住む決意をしました。

その後、4 年次に、再度フランス留学して、パリ滞在中に、そのまま大学を中退して、アルジェリアのサハラ砂漠に行って仏語通訳をして資金を稼ごうと思いましたが、懇意にしていた知人の日本人の女性から、「あなたは、これまで、ずっと、逃げてばかりいますよね。一度は、一番住みづらいところに行って、我慢したらどうですか」と言われて、帰国して一留で大学を卒業することを決めました。帰国後、元の同窓生からは、「この大学の仏学科の学生は、昔から、中退して有名になっていますが、復学した貴方は、残念ながら、今、ただの人間になりましたね」という冗談を言われました。

私の同級生二人は、学部を卒業して大学院に行き、その後、お一人は佐賀大学、もう一人は早稲田大学教育学部のフランス語の教授になられたようですが、私は、「象牙の塔」で左脳的研究を続けたら、間違いなく自殺するだろう、と思い、「在野」にい続ける決心をしました。

その後、20 世紀最重要な作家の一人のマルセル プルーストに関する学士論文をフランス語で書き上げ (このオリジナルの論文は、今も手元にあります)、25 歳で大学を卒業しましたが、直後に、アフリカ北岸に赴き、この時点から、私の二十余年の海外生活が始まった次第です。

後日談としては、数年前に、故郷の高校の同窓会に出席した時、十代に半同棲していた女性がその席にいたので、近寄って行き、「私ですよ」と言ったら、当初、私を認識できずに「誰ですか?」と聞かれ、彼女と別れたときと同じくらいのショックを受けました (笑)。それだけ、私は変容した、ということも言えると思います。

また、半同棲当時、書道家でもあったこの女性は、「将来ロンドンで個展を開きたい」と言っていたことも、私のその後の人生に影響を少なからず与えたのですが、「再会時」にこのことを彼女に伝えたら、「記憶にないですね」と言われました。

実は、私は、この「悲しい実話」を脚色した「私小説」的な連載短編小説『過去への旅路』を、大学在学時に同人誌に発表していましたが、数年前に、ネットの古本屋で「第一話」が載ったこの同人誌の号を見つけたので、購入しました。この小説は、以下にアップロードされていて、閲覧可能です。

https://www.kitaoka.co/img/journey.pdf

ということですが、以上、私は、若い頃は、最下層の自己啓発難民状態の人間であったことが、伝わったら幸いです。

一点、新エッセイ「『メタ心理学』誕生の経緯について」に、改めて私が興味深いと思った次の一節があります。

「もちろん、1988 年以前の、最下層の『自己啓発難民状態』にいた私自身も、80 年代以降、欧米で実際に『西海岸文化圏人』に出会うまでは、『デカルト/ニュートン的パラダイム』だけが真理で、それ以外はありえないと信じ込んでいた日本人の一人でした (そして、そのことが、1988 年までの私の人生で、不幸を生み出している最大の『元凶』になっていました)。」

すなわち、NLP を知った 1988 年以前 (あるいはインド人導師に弟子入りした 1983 年以前) の私は、現在の私が出会うどの「自己啓発難民状態」の状態の方々よりも「『もっとひどい』どん詰まり」の状態にいたと、確信をもって言えるような人間でしたが、まさにその人間が「実際に二十余年間」西海岸文化の影響を受けた欧米人と交流する過程の中で、「マジでこの人たちは、『デカルト/ニュートン的パラダイム』の三次元の世界を信じていなくて、『すべては相対的である』という 20 世紀の『量子力学的パラダイム』を実生活で生ききっている」ことを実際に知って、腰を抜かす以上の驚愕を覚え続けた次第でした。

この私自身の実際の経験を「そんなことはありえない」と思う権利を、日本人の方々はもっているとは思いますが、そういう左脳的な判断をされる前に、私の二十余年来の確信を否定できるだけの (砂漠生活を含む) 海外生活 (もしくは、それに匹敵するような内的意識の実験) 等を、ぜひ、まずしていただきたいという思いを、私はもっています。

また、欧米はともかく、国内では、自己啓発系の業界の先生たちで、以前は自分自身自己啓発難民状態だったが、NLP のような自己変容メソッドを使って、自分自身を真の成功者状態に実際に変容させた人々は皆無であるように思われる点に、大きな問題が発生していると思います。そういう自分が教えているメソッドで真の自己変容を遂げていない先生が、その生徒さんたちに自己変容をもたらせることができていないのは、当然の話です。

私も、私なりの事情と理由で、NLP を教えている時に、生徒さんの方々に、自己啓発難民状態から真の成功者状態への変容を引き起こせていなかったかもしれませんが、その「バグ」を解消した新 OS ソフトとして独自開発したメタ心理学のメソッドであれば、そのことを実現できていける、と確信しているところです。

というわけで、 「自己啓発難民状態」から「真の成功者状態」への変容は「ありえない」という「暗黙知」のパラダイムが跋扈している日本で、私が以前究極の自己啓発難民状態だった、とどれだけ主張しても、誰もそれを信じることができないできているのも、当然といえば当然の話です。

II) 「自己啓発難民状態」と「真の成功者状態」の相違相関統合図

閲覧された方々からは「神回ではないですか」といった感想をいただいている「北岡特別書き下ろし新エッセイ『メタ心理学』誕生の経緯について」では、38 項目にわたる「『自己啓発難民状態』と『真の成功者状態』の相違相関統合図」を掲載して、その各項目 (実際には、11 番目から 38 番目の 28 個の各項目です) について、私の解説をさせていただいています。

本メルマガでは、特別に、この表を、以下からダウンロードできるようにさせていただきました。

https://www.kitaoka.co/img/vs_comparison.pdf

また、今号から、各比較項目について、一つ一つの私の解説を、再引用させていただこうと思いました。今号のテーマは、「11. 現実と非現実があると信じている vs すべて仮想現実だと知っている」です。

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11. 現実と非現実があると信じている vs すべて仮想現実だと知っている

この対比は、「人間は、三次元の世界にオギャーと生まれ、死ぬ時に、この世界から去っていく」という 400 年前の「デカルト/ニュートン的パラダイム」に生きているのか、「現実というものは、瞬間瞬間に生まれては死滅していて、我々の意識が瞬間瞬間の現実を構築し続けていっている」という 20 世紀以降の「量子力学的パラダイム」に生きているのか、の違いを表しています。

私は、「西海岸文化圏人 (すなわち、認識的拡張主義者)」は後者のパラダイムの中に生きていて、日本人は前者のパラダイムの中に生きている、と見ています。

もちろん、1988 年以前の、最下層の「自己啓発難民状態」にいた私自身も、80 年代以降、欧米で実際に「西海岸文化圏人」に出会うまでは、「デカルト/ニュートン的パラダイム」だけが真理で、それ以外はありえないと信じ込んでいた日本人の一人でした (そして、そのことが、1988 年までの私の人生で、不幸を生み出している最大の「元凶」になっていました)。

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「『自己啓発難民状態』と『真の成功者状態』の相違相関統合図」については、二点コメントがあります。

i) 1988 年以前の自己啓発難民状態にいた私には、(物心がついた頃から 32 歳まで)「相違相関統合図」の左側の項目すべてが当て嵌まっていた、と断言できます。

ii) 私は、1981 年にサハラ砂漠に行き、仏語通訳で稼いだ資金で、1983 年に米国西海岸に行き、インド人導師に弟子入りして、そのコミューンで瞑想修行しましたが、この出来事がなくて、日本に生き続けていたら、私は一生、自己啓発難民状態で生き、死んだと思っています。

この瞑想修行で、一時的に「ボックス/マトリックス/蟻地獄から出る」ことが可能になり、1988 年に知った米国直伝の NLP で、その脱出状態を恒常化させることに成功した次第です。

なので、私は、以前は、「事前に『レモンの味』(すなわち、『ボックス/マトリックス/蟻地獄の外側の世界』) を知らない人が NLP を学んでも、『レモンの味』を再生できない」というスタンスにいましたが、元々欧米人仕様の成功法則として生まれた NLP を日本人仕様にアップデートした「メタ心理学」でなら、「事前に『レモンの味』を知らない人でも『レモンの味』を再生できるようになる」というスタンスに変わってきています。

この「事前に『レモンの味』を知らない人でも『レモンの味』を再生できるようになる」メカニズムについては、北岡新エッセイ「『メタ心理学』誕生の経緯について」の第二章の「3) メタ心理学はレモンの味を知らない人にレモンの味を味わさせることができるか?」のセクションで詳述させていただいていますので、ご興味がある場合は、本アンケート キャンペーンに参加されて、北岡新エッセイをダウンロード閲覧していただけたらと思っています。

以上、よろしくお願いいたします。

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3.特別限定廉価「北岡個人セッション」のご案内 (恩典付)

「メタ心理学」あるいは北岡ワークにご興味をもたれた方々には、特別限定的に、通常 2 万円の体験セッションを、税込 5,000 円の受講費での開講オファーさせていただきます。以下の紹介ページから受講お申し込みください。

個人セッション紹介ページ:
     https://www.office-kitaoka.co.jp/office-kitaoka/session/202308/

なお、セッション受講者の方には、特別恩典として、北岡泰典 CD-ROM ブック『CYBERBOOK: 悟りのための統合的認識論』(紹介ページ: https://www.office-kitaoka.co.jp/office-kitaoka/cyberbook_online/jp/) の電子版 (定価税抜 1 万円) を恩典提供させていただきます。




以上、ご不明点などございましたら、弊社まで気軽にお問い合わせください。

info@office-kitaoka.co.jp

以上、よろしくお願いします。

オフィス北岡事務局広報部
辻玲緒奈




以上、今号のメルマガはいかかでしたでしょうか?

ご質問ご意見がございましたら、忌憚なく info@kitaoka.co までお寄せください。


(株) オフィス北岡サイト: https://www.office-kitaoka.co.jp/

北岡泰典紹介ビデオ: https://www.kitaoka.co/pv/

「メタ心理学者と ChatGPT の談話室」: https://note.com/metapsychology/


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