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発行元: メタ心理学研究所
#003: 2023.8.23

『メ タ 心 理 学』

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本場米国NLPの直伝を受けた著者は、元々欧米人仕様の成功法則として生まれた
NLPを日本人仕様に昇華した「メタ心理学」の開発に成功しました。メタ心理学
は、日本の伝統的な「和」の思考習慣を、「GAFA」を世界的企業に押し上げた
思考習慣にまでバージョンアップさせ、真のイノベータの輩出を可能にします。
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『「メタ心理学」第三号:「メタ心理学者とクリエータの談話室 その二」』

皆さん、こんにちは。本号のメルマガは、メタ心理学研究所発行の第三号です。

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(株)オフィス北岡、広報担当です。

本号は、『メタ心理学』第三号です。

本号では、以下のトピックがカバーされています。


1.「メタ心理学者とクリエータの談話室 その二」:
        「自己啓発難民」から「真の成功者」へ
2.「メタ心理学メルマガ創刊キャンペーン」予告

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2.「メタ心理学者とクリエータの談話室 その二」:
        「自己啓発難民」から「真の成功者」へ

以下に、「メタ心理学者とクリエータの質疑応答 (FAQ2)」を紹介させていただきます。

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FAQ2: 「自己啓発難民」から「真の成功者」へ

 

北岡 (TK): 杉野さんは、2 年前までは、本メルマガ第三号で言及されている

1) 今、自分がコミットしようとしているメソッドが真正か偽物かわからない:
2) 1 万回繰り返すのが辛くてたまらない:
3)「ビッフォアー/アフター」の差分が取れていない:
4)「現実は厳然と存在していて、左脳的な仮説の NLP ごときで、現実は変わるわけはない」と、どこかで思っている:

の特徴が当てはまる (1988 年以前の私のような)「自己啓発難民」だったと思いますが、過去 2 年間の様々な試行錯誤の結果、

2) 1 万回繰り返すのが楽しくてしかたない:
3)「ビッフォアー/アフター」の差分が取れて、その変化に驚いてきている:
4)「現実は厳然と存在していて、左脳的な仮説の NLP ごときで、現実は変わるわけはない」と、どこかで思っていた「パラダイム」は、今は嘘のように思え、現時点では、NLP のようなプログラミングは仮説ではなく、実際に現実を変えれる実践的ノウハウであると確信できるようになっている:

という「真の成功者」に変容されたと理解させていただいています。

実は、本メルマガ第二号に、以下のように書かせていただいていますが、

「私 (北岡) が 1988 年にグリンダー式 NLP を知った時、それこそ『天地がひっくり返る』ような『未曾有』の大変革が私に起こったのですが、その直伝の NLP をそのまま日本人に教えても、私は、その『未曾有の大変革』を、日本人の方々にもたらせることができませんでしたが、このクライアント [注: 杉野さん] のコメントから、もしかしたら、1988 年当時私に起こった大変革を、『メタ心理学』によってなら、日本人の方々にもたらせることができるのでは、という強い確たる予感がしています。」

私としては、杉野さんのケースが、「1988 年当時私に起こった大変革を、『メタ心理学』によってなら、日本人の方々にもたらせることができる」ことの一つの実例になっているのでは、と思っている次第です。

以上のことを前提として、以下の三つの質問にお答えしていただけたら、と思いました。

i) 「自己啓発難民」の特徴の一つに「1) 今、自分がコミットしようとしているメソッドが真正か偽物かわからない」があるのですが、どの時点で、どのようにして、「北岡ワーク」が真正なものであるか、わかったか、を教えていただきたいです。

(ちなみに、「妥当なデータ蓄積の 3 要素」【注: ケン ウィルバーのモデルです。参照: https://www.office-kitaoka.co.jp/office-kitaoka/cyberbook_online/jp/truth.htm】) で示唆されているように、私のワークの「真正さ」は、私が言う手順にそって「リンゴと少女」風に、自己適用を継続したら「〜」が可能になりますよ、という指示に従ったら、私の言っていることが真正であると、個別に確認されるものだと考えているので (この「再現性」が科学が科学としてなりたっている所以ですが)、かりにある方が該当の手順を自己適用して、私が言うことが確認されない場合、該当の人に「北岡ワークの真正さ」を押し付ける意図は私にはないです (かりに、個人的に、自己適用のし方が適切ではないのでは、と思ったとしても、です (笑))。)

ii) いつの時点で、どのようにして、2)、3)、4) のいわゆるネガティブな特徴が、ポジティブな特徴に変わり始めたのか、教えていただきたいです。

iii) 個人的には、私のワークは、(「左右全脳型学習者」等には) 「おもしろくておもしろくてしかたない」と思っているのですが、過去 20 年間、業界からは、おしなべて「北岡ワークは難しい、私はそのレベルではない」的な反応をもらってきています。

これについては、「大きなペット ボトルと小さなペット ボトルを見せ、中に入っている水を一つのボトルから他のボトルに入れ替えるというプロセスを繰り返すと、『大きなボトルに入っていた時の水の方が、分量が多い』としか言えない 3 〜 4 歳前後の子供が、2、3 年後に、その時の実験光景を録画していた収録ビデオを見せられて、『こんな馬鹿なことを僕が言うわけはない。このビデオは編集されていて、僕を騙そうとしているのですよね』としか、言えない」ように、「通常の日本人」とは異なるパラダイムに生きている私には、業界からのこの反応が理解できずにきています。

「いくら NLP を学び、実践しても、いっさい現実は変わらない」というパラダイムに生きている方々は、どのようなプロセスを経たら、「NLP を学び、実践したら、現実がどんどん変わり始めた」というパラダイムに生きることができるようになると思いますか?

 

クライアント (CL): まず、

「i) 『自己啓発難民』の特徴の一つに『1) 今、自分がコミットしようとしているメソッドが真正か偽物かわからない』があるのですが、どの時点で、どのようにして、『北岡ワーク』が真正なものであるか、わかったか、を教えていただきたいです。」

のご質問についてですが、どのようにしてわかったのか、いろんな理屈を並べようとすれば並べられますが、最初は一言で言うなら「直感」だったと思います。私は人を介して、北岡先生のことを知りましたが、その人の話す様子を見ながら、「ああ、本物の先生がいるんだな」と感じて、強い興味を抱きました。

それから、北岡先生の元で学ばれた方たちが、心理業界ではコンテンツを提供する側に回っていることも、目に見える証拠として映りました。だから、偽物と言っていいのかはわかりませんが、北岡先生が教えたことのコピーやレプリカが市場に出回っていることがよくわかったので、原物・オリジナルの北岡先生への信頼度は自ずと高まっていきました。

[注: 上記の「北岡先生の元で学ばれた方たちが、心理業界ではコンテンツを提供する側に回っている」とは、北岡が教えている米国直伝の「コンテントフリー (内容とは無関係) の NLP」(後述の「先生は話の内容は一切聞いていない」というスタイルの NLP です) を、その元で学んだ方々が「コンテンツ ワーク」(一例としては、カール ロジャーズ式にクライアントの話の詳細を傾聴するワークのことです) として教えている、という意味です。]

 

TK: ありがとうございます。正直、「偽物と言っていいのかはわかりませんが、北岡先生が教えたことのコピーやレプリカが市場に出回っていることがよくわかった」ということは、あくまでも私の私見ですが、「その通りでしょう」と思いました。

ただ、このことを私に対して明示的におっしゃってくれたのは、(私が、これまで誰に対してもしたことのない質問をさせていただいたからだとも思いますが) 杉野さんが初めてです。

また、この回答の根拠が、「北岡先生の元で学ばれた方たちが、心理業界ではコンテンツを提供する側に回っていることも、目に見える証拠として映りました」ということだったことは、実に興味深いコメントです。

 

CL: 北岡先生の情報発信では、特に Youtube 動画を見ていたのですが、他の講師の先生との違いで惹かれたところは、北岡先生は雰囲気も、佇まいも、話し方も、コミュニケーションの取り方も、いわゆる典型的な講師っぽくないことでした。つまり、教わる側も自分らしいままで学べるのだと感じましたし、この自分らしくいたままで、先生が高度な心理技術を提供できている秘密を知りたいと思いました。

 

TK: このコメントも、非常に興味深いです。

通常は、催眠の専門家は、「伝統に基づいた」独特の催眠誘導 (トランス誘導) の喋り方とスクリプトがあって、「ステレオタイプ (紋切り型)」の誘導をしますが、私が学んできた「米国直伝の NLP」では、「ミルトン モデル」という一連の催眠誘導の方法があって、この「コンテントフリー (内容とは無関係)」の方法を習得すれば、「ごく普通の『生来』の自分自身の喋り方と独自の『無意識から浮かんでくる』即興のその場限りの催眠誘導のし方」でも、クライアントを、充分以上深いトランスに誘導することができることが証明されてきています (私の普通の喋り方と独自のストーリーでも、私が有効な催眠誘導者になっている、ということで、自分自身でこのことを証明してきていると思っています)。

実は、それどころか、私の私見では、「『伝統に基づいた』独特の催眠誘導の喋り方とスクリプト」による催眠誘導よりも、「ごく普通の自分自身の喋り方と独自の、無意識から浮かんでくる即興のその場限りの催眠誘導のし方」によるトランス誘導の方が、効果がさらに高くなる、という「常識を超えた」結果が生み出されている (!) と思います。

(このことには、いろいろ理由があると思いますが、その一つは、独特の口調での催眠誘導の場合、クライアントは、「今催眠にかけられている」という警戒感をもつかもしれませんが、ごく普通の口調の場合、クライアントは、いつトランス誘導が始まったかわからない、というふうに、普通の会話の流れの中で、ごく自然に催眠状態に入れる、ということです。

さらに言うと、ごく普通の日常会話自体が、すべて、会話者どうしでおこなっている相互催眠誘導である、という事実が、「本物の NLP」を通じて、理解・体感できるので、催眠誘導する際であっても、いっさい「独特の催眠誘導の喋り方とスクリプト」は不要である、という空恐ろしい事実も、ここで指摘可能です!

これ以外にも、「『伝統に基づいた』独特の催眠誘導の喋り方とスクリプト」を使う催眠誘導者は、「暗記」に長けている一方、「活用」ができないだろう、という決定的なデメリットがあります (「活用」については、https://www.office-kitaoka.co.jp/office-kitaoka/kitaokataiten/new_glossary/#utilization を参照のこと)。)

ちなみに、この辺に、「先生の言うことが唯一正しく、そのやり方をすべてそのまま学ぶ必要がある」という小中学校の教育のせいで、没個性の、どこを切っても金太郎飴の図しか存在しない日本文化と、人間一人一人の個性を充全に尊重して、独自のやり方にも普遍性があるのだ、ということがわかっていて、GAFA や PayPal マフィア級の未曾有のイノベータを作り出せている「西海岸文化」 (というか、「認識的拡張主義」) の違いが、象徴的に表されていると思います。

 

CL: そして、実際に「北岡ワーク」を受けてみて、自分がこれからもずっと悩み苦しみつづけると覚悟していたことが、その日その時、一瞬で消えてしまった体感がありました。正直、ショックでもありました。もっと早く受けたかった、と。また、騙されているのではないか、なにかマインドコントロールされたのではないか、とも疑いました。それくらい、今までの自分にはない感覚/感情が宿っていました。でも、それで気づけた“本当の自分の気持ち”を、だんだんと自覚させられたわけです。ひとりで冷静に考えてみても、先生は話の内容は一切聞いていないのに、なにが自分の身に起こっているんだ、と。解消されたトラウマも全く再発・転移しませんでした。むしろ抑圧から解放されて、いろいろなことがわかるようになっていました。

「北岡ワーク」が真正なものであるかは、いまは毎日の自分の状態でわかります。たとえば、あることに対して、これまで何年もモヤモヤとしていた気持ちが、ワークをした 1 分後にはスッキリとして素敵な思い出になることだってあります。不意のトラブル対応への最適解が、無意識に引き出されていることだってあります。あんな使い方も、こんな使い方もできるんだ、とつくづく「おもしろいなぁ」と思っています。

 

TK: このコメントにも感謝いたします。

「解消されたトラウマも全く再発・転移しませんでした。むしろ抑圧から解放されて、いろいろなことがわかるようになっていました。」

は、すばらしいことだと思います。

また、私は、「あることの真正さ」は、自分の左脳的知識と右脳的体感を行き来する「左右両脳学習」による一人一人の「目利き力」で自分自身の目で検証されなければならない、と思っていて、かつ、現時点の自分自身の確信が未来永劫に続くべきものではない、とも思っています。

なので、杉野さんの「北岡ワークの真正さ」の基準についても、今現在の貴方の「世界地図」の中でのコメントだ、と理解させていただいています。

私自身、ワークショップ、コース等で、常に、「私は、NLP 以上のものが存在するなら、今すぐに、それをゴミ箱に入れて、明日から NLP について語ることを止めます。ただ、過去、学習開始の 1988 年以来、35 年間、NLP を否定しようと思い続けてきていますが、否定し続けた最後にどうしても否定できないないものとして残っているだけので、しかたなしに、NLP を教えることを続けているだけです」と言ってきている「究極の『筋金入り』の懐疑主義者」です。

なので、私は、日本人の方々にも、「見せ方」だけでコロッと騙されるのではなく、常に自分自身の「目利き力」に従って、懐疑主義的に「真正なもの」を探し続けていただきたい、と思っています。

 

CL: 次に、

「ii) いつの時点で、どのようにして、2)、3)、4) のいわゆるネガティブな特徴が、 ポジティブな特徴に変わり始めたのか、教えていただきたいです。」

のご質問についてですが、2)、3)、4) のそれぞれでお答えさせていただきます。

――「2) 1 万回繰り返すのが楽しくてしかたない:」

はい、とても楽しいです。こちらには 2 つの要素がありました。

1 つ目は、「メタ心理学」のセッションで、北岡先生に【「アンカーリング」の同義語群一覧】を教わり、実際にそれを体感したことです。それで「NLP < 現実」だったものが、はっきりと「NLP > 現実」に切り替わりました。

「NLP < 現実」で、自分のプログラミングよりも現実の臨場感の方が強かったときというのは、それはそれは「 1 万回繰り返すのが辛くてたまらない」ものでした。気休めに、自分で自分をなぐさめているようで、むなしくすらありました。それが「NLP > 現実」になった途端、自分のプログラミング次第で現実はどのようにでも変えられるようになりましたから、それは当然、楽しいですよね。自己適用した分だけ、ちゃんと結果が形になって現れるので、やりがいがあります。

2 つ目は、北岡ワークへの「入力」のコツを掴めたことです。北岡ワークでは、自分の生存に関わる深いトラウマを癒せることから、自己超越的な高い次元での体験までもできます。しかし「コンテントフリー (内容とは無関係)」の方法である分、クライアントがそのワークに何を「入力」するのかは、クライアントの側に委ねられています。ここで、自己適用のし方に差が生まれ、自分の認識力では適切/不適切の見分けもつかなくなってしまうのだと思います。つまり、自分の「入力」内容にも過去の【「アンカーリング」の同義語群一覧】が影響を及ぼしている可能性があるということです。色々と試していくうちに、「入力」には“無限の選択肢”があることに気づけてからは、「2) 1 万回繰り返すのが楽しくてしかたない」、今があります。この脳神経のよい状態で事に当たるので、繰り返し再現性のある、よい結果も得られています。

 

TK: 「『アンカーリング』の同義語群一覧」を教わり実際にそれを体感したことが、「『NLP < 現実』だったものが、はっきりと『NLP > 現実』に切り替わりました」の直接の原因である、とおっしゃっている点が、非常に興味深いと思います。

【注: この「『アンカーリング』の同義語群一覧」は、メタ心理学関連の「秘伝」の情報ですが、本メルマガ読者の恩典として、以下のページで、本メルマガの配信後、48 時間だけ「特別限定公開」させていただきます。

https://www.kitaoka.co/newsletter/archives/anchoring_list.pdf

私 (北岡) は、これらの同義語は、すべて「アンカーリング」と同じ意味合いをもっている、と主張しています。なお、この同義語一覧は、「アイソモルフィック メタファー (同形比喩)」の一例です。】

また、おっしゃっている「『NLP < 現実』で、自分のプログラミングよりも現実の臨場感の方が強かったときというのは、それはそれは『1 万回繰り返すのが辛くてたまらない』ものでした」の一文の「臨場感」がキーワードになると思いました。

通常は、自分の生活の行動・思考パターンが幼児期のプログラミングによって成り立っている、という意識はいっさいありませんが、もしかしたら、「意識でいっさい自由に動かせない自分自身の行動・思考パターン」は「臨場感」と密接な関係があるようにも思えます。さらに、通常は「意識でいっさい自由に動かせない自分自身の行動・思考パターンの臨場感」そのものを、私は「内的現実」と定義しています。なので、「自分自身の行動・思考パターンを意識で変えられる、とわかった時、変わった後の現実について臨場感をもてる」ようになり、このことで「現実が仮想現実化され始める」と言えるかと思いました。

さらに、

「自分の『入力』内容にも過去の【「アンカーリング」の同義語群一覧】が影響を及ぼしている可能性があるということです。色々と試していくうちに、『入力』には“無限の選択肢”があることに気づけてからは、『2) 1 万回繰り返すのが楽しくてしかたない』、今があります。この脳神経のよい状態で事に当たるので、繰り返し再現性のある、よい結果も得られています。」

のコメントが、極めて興味深いです。特に、

「『入力』には“無限の選択肢”があることに気づけてからは、『2) 1 万回繰り返すのが楽しくてしかたない』、今があります。」

についてですが、仮に暗記問題や算数の練習問題を 1 万回繰り返す場合は、変化のない同じ入力と同じ出力が永遠に続くので、「飽きて飽きてたまらない」ということになりますが、1) 「『入力』には“無限の選択肢”があることに気づけて」いて、2) 「異なる入力を入れた時、異なる出力が出てくることの差異が取れている」かぎりにおいて、この 1 万回の反復には 1 万通りの異なる種類があることに気づけ、かつ、毎回自分が成長していることがわかるので、「こんな楽しいお遊びはない」と思えるようになれるのだ、ということかと思いました (ここまで来れば、人間は、「ドーパミン」を出して「ワクワク感」のまま 1 万回の反復を繰り返すことができるようになります)。

 

CL: ―― 「3)ビッフォアー/アフター」の差分が取れて、その変化に驚いてきている:」

はい、こちらは「オフィス北岡」のウェブサイトに掲載されていた「北岡式『Awareness & Feedback』モデル」の中に、「Before と After の差分分析」と明記されていたことを見つけて、それで強く意識するようになりました。

[注: この「Awareness & Feedback」モデルは、2 年くらい前に進んでいた「コーチ支援ソフト」プロジェクトで発見された、「北岡式コーチング」に関するモデルです。以下の図が「A&F モデル」です。]

振り返ると、「北岡ワーク」以前の (「通常の」) メソッドでは、どこかストーリー性のようなものが残っていました。つまり、「わたしは□□に悩んでいましたが、△△をしたことで、今ではこのように○○に解決しました」と一連の流れがセットで記憶に残っています。でも、それでは多分、根本的には解決されていなかったので、時間をおいて再発・転移が起きました。

そして、これは体感するとわかりますが、「北岡ワーク」以後の驚きは、〈ビッフォアー〉の「□□」の問題も、「△△」の方法論もなぜだか自意識から抜け落ちて、結果〈アフター〉の「○○」の状態だけを実感していたことです。そして過去に戻ることなく、今ここからの人生の選択を始められます。だからなのか、「3)『ビッフォアー/アフター』の差分が取れていない」ことも、よくよく意識しておかないと改善できませんでした。いかんせん状態が変わってしまっているので、これは、ほんとうにメモを見直すくらいでないと、自覚できなかったんですよね…。

その中で、「メタ心理学」のセッションの中では、〈ビッフォアー〉と〈アフター〉の状態は、どちらも自分の中に共存していて、自分がどちらかの状態を選択していることを認識でき、統合もできました。それでさらに、「3)「ビッフォアー/アフター」の差分が取れて、その変化に驚いてきている」ポイントをしっかり押さえられたので、自分で自分に変容を起こせて、成長・進化のスピードを調節することができています。

いつも「ビッフォアー/アフター」と聞くと、どこかリフォームのテレビ番組を思い出しますが、実のところ、「北岡ワーク (メタ心理学ワーク)」が引き起こす変容は、想像以上に“劇的”なことでした。

 

TK: そうですね、私は、本メルマガの第二号で次のように書かせていただきましたが、

「私自身、数多くの NLP 学習者に施術してきていますが、「NLP 学習、特に特定の NLP 演習体験、の以前と以後の『ビッフォアー/アフター』の差分を取っていましたか」と聞いた際、「取ったことはありません。取り方がわかりません」といった返事をもらうことが多く、正直、「驚愕」してきています。この差分を取らずして、NLP の効果の測定と検証は、いっさい不可能だからです。」

大小の二本のペット ボトルを見せられ、中に入っている水を一つのボトルから他のボトルに入れ替えるというプロセスを繰り返えされた時、「大きなボトルに入っていた時の水の方が、分量が多い」としか言えない 3 〜 4 歳前後の子供が、2、3 年後に、その時の反論不可能な厳然たる証拠ビデオを突きつけられた「場合でさえ」、「こんな馬鹿なことを僕が言うわけはない。このビデオは編集されていて、僕を騙そうとしているのですよね」としか、言えないわけですから、「ビッフォアー/アフターの差分」を取る習慣がない NLP 学習者が、自分の「劇的な変化」に気づかずにいられるのは、ある意味、まったくもって当然すぎることなのかもしれません (悲)。

私は、この「ビッフォアー/アフターの差分の自覚欠如」の問題は、極めて重要なトピックだと思っています。

 

CL: ―― 「(4)「現実は厳然と存在していて、左脳的な仮説の NLP ごときで、現実は変わるわけはない」と、どこかで思っていた「パラダイム」は、今は嘘のように思え、現時点では、NLP のようなプログラミングは仮説ではなく、実際に現実を変えれる実践的ノウハウであると確信できるようになっている:」

についてですが、はい、そうですね。ちょっとこちらは、本当にパラダイムが変わってしまったためなのか、なんとも言葉にしずらいのが不思議です。

一応、現実は現実としてあると思います。でも、本来の現実は流動的で、自分はその影響を受けながら、自分もまたどのようにでも影響を与えられる存在として一緒に生きています。「現実を変えるには、まず自分の内側から変える」という良い言葉を思い出すのですが、NLP でその自分の内側についての知識と体感を学び、意図的にプログラミングを変えられたときに、現実はおもしろいほどに変えられることが、ようやくわかってきました。

それが、どの時点からだったのかは、そうでした。「メタ心理学」のセッションでオンライン通信を切った直後からです。それからずっと「NLP > 現実」の状態のままで、自己適用を続けてきています。

 

TK: このコメントに感謝いたします。

そうですね、「一応、現実は現実としてあると思います」についてですが、私が主張してきているのは、あくまでも「現実の相対化」、「現実の仮想現実化」であって、「現実の非現実化」、「現実の否定」ではないです (笑)。

人間生きていて、呼吸をしているかぎり、五感を通して、継続的に外界から情報が脳内に入ってきている以上、外界に何かがあることは否定できないと思います (ただ、NLP 共同創始者のジョン グリンダー氏は「外界に何があるかわからない。外界があるかどうかさえわからない」という、徹底した「不可知論者」です!)。

「その『何か』に対して与える『意味付け』は、『文字通り無条件的に』いかようにも変えることができる。個々の人間には、それだけの『絶対的自由』が生来的に備えられている。この『意味付け』は、『フレーミング』にすぎず、誰でも、いつどこでも『フレーミング解除』をする可能性は残されている」と、私は、主張しているだけです。

 

CL: いただいた最後の iii) のご質問は、もっとも重要だと思いました。

「iii) 個人的には、私のワークは、(「左右全脳型学習者」等には) 「おもしろくておもしろくてしかたない」と思っているのですが」

とおっしゃっているのは、本当にその通りだと私も思います。左脳と右脳のどちらかに偏った学習には限界がありましたが、私もお陰様で、左右全脳型の学習体験に出会えたことで、人間本来の脳の可能性を開いています。いい例は、わが家の子どもたちへのすぐれた影響力です。子どもの脳の反応は正直ですから。

それから、

「過去 20 年間、業界からは、おしなべて『北岡ワークは難しい、私はそのレベルではない』的な反応をもらってきています。」

ということは、これから「メタ心理学」を学ぶ方にとっては、大きなチャンスがあるということではないか、と思っています。言ってみれば、「メタ心理学」の学びは「海外留学」に似ていると思うのです。駅前留学的に、日本にある既存の簡単そうで、自分のレベルに合わせられたワークが、果たして本場の世界で通用するかは定かではありません。自分なりにいくら頑張っているつもりでも、実はそれが微笑ましい幼稚園のお遊戯会レベルだったら残念ではないでしょうか。だから一度、航空機のチケットを買って、異国の地に飛び出してみることで、カルチャーショックを受けながらも、新生活の手応えを感じて、新しい出会いがあって、結果的にパラダイムが変わっているケースの方が一般的にも多いと思います。

そして――「いくら NLP を学び、実践しても、いっさい現実は変わらない」というパラダイムに生きている方々は、どのようなプロセスを経たら、「NLP を学び、実践したら、現実がどんどん変わり始めた」というパラダイムに生きることができるようになると思いますか?」

については、私の場合は、3 つの簡単なステップをご紹介させていただきます。

まずは、1)「メタ心理学」を受講してみること、2) 次に、自己適用を繰り返すこと。そして、わからないことは質問すること。そうしたら、北岡先生の知識・ノウハウはすべて自分の身に引き当てて、成長を続けられます。そして、3) あとは勇気を出して飛び込んでみるだけ、です。

ここまでの理由から、以前の私 [注: そして 1988 年以前の北岡] のような方々に、(先生からの「彼岸からの誘い (いざない)」に応える形で) ぜひ、北岡先生の個人セッションを受講されることを強くお勧めさせていただきたいと思いました。

 

TK: 「これから『メタ心理学』を学ぶ方にとっては、大きなチャンスがあるということではないか」というコメントには、心から感謝いたします。

このことは、「海外留学」、「異国の地に飛び出す」の比喩の観点から言っても妥当性があるのでは、と私も思いますが、おそらく、世界的にも、「西海岸文化圏人 (すなわち、認識的拡張主義者)」と日本人の 60 年間のマインドセットのギャップを閉じることができる新しいメソッド (『メタ心理学』) を開発した」とか「この新メソッドのノウハウは、NLP トレーナー、コーチ、カウンセラー、セラピスト、コンサルを問わず、セッション ギバ (セッション開講者) は、全員、『汎用 OS ソフト』として利用できる」等と言っている人は、私以外いないと思っていますので、「計算された賭け」に打って出れる人には、「大きなチャンス」、というか「計りしれないチャンスがある」と、私には思えています。

ただ、「石橋を叩いて渡ろうとして、叩きすぎて、石橋もろとも谷に落ちる」ことを選択しようとしている日本人の方々には、「3) あとは勇気を出して飛び込んでみるだけ、です」が実行できないかもしれません (大笑)。

これについては、二つの比喩を思い出しました (二例とも、「『認識的拡張主義』の精神」と関連しています)。

「ある人が数頭の虎に追われ、深夜、奈落の谷まで追い詰められました。意を決して、谷に飛び込み、たまたまあった木の枝にしがみ付くことに成功し、真下の谷底までの距離が数百メートルあるので、落下の危険性に、ずっと震えていました。数時間、恐怖に慄いていましたが、やがて、少しづつ夜が明け、あたりが明るくなってきました。その時、この人は、自分の足元と谷底の間の距離が、数百メートルではなく、数十センチであることに気づきました。」

「北岡の師匠は、弟子たちを飛行機に乗せて、一人一人数千メートルの空中から、機外に投げ出すことを習慣としていました。ただし、必ず、パラシュートを付けてから、投げ出していました。」(この比喩について、「貴方の師匠は、本当にそうしたのですか?」と質問された方もいました (笑)。)

「認識的拡張主義」とは、実は「こんなもの」にすぎません (大笑) が (そして、1983 年の弟子入り以来の 40 年間の「筋金入り」の「瞑想者/求道者」として、個体としての自分の「肉体的な死」も、実は「こんなものです」と言うことができますが)、そう思えないのは、自分自身がいるパラダイムを超えた次のパラダイムから思考する (「Think from」する (https://www.office-kitaoka.co.jp/office-kitaoka/kitaokataiten/new_glossary/#think を参照)) ことができていない人々だけです。

以上、よろしくお願いします。

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2.「メタ心理学メルマガ創刊キャンペーン」予告

本「メタ心理学」メルマガが創刊されたことを記念として、近日中に、「メタ心理学メルマガ創始」キャンペーンを行うことを企画中です。さまざまな恩典謹呈を考えています。

乞うご期待ください。




以上、ご不明点などございましたら、弊社まで気軽にお問い合わせください。

info@office-kitaoka.co.jp

以上、よろしくお願いします。

オフィス北岡事務局広報部
辻玲緒奈




以上、今号のメルマガはいかかでしたでしょうか?

ご質問ご意見がございましたら、忌憚なく info@kitaoka.co までお寄せください。


(株) オフィス北岡サイト: https://www.office-kitaoka.co.jp/

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「メタ心理学者と ChatGPT の談話室」: https://note.com/metapsychology/


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